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誠倫ブログ

力と技術の関係性

2018-12-06
剛柔一体、一心同体
これらの意味は大きな範囲で2つで1つとゆう意味。力だけでも駄目、技術だけでも駄目、これらが当てはまるスポーツや武道、果ては仕事や精神面など多いところだろう。
剛柔一体や一心同体、馬術的に言うなら人馬一体など夢物語、幻想的、漫画の世界だ、と感じる人は多いと思うが、実は逆なのだ。力と技術、この2つを1つにすることがトップになる為に1番現実的であり効率的なのだ。圧倒的な力、吐出した技術だけが通用するなんてそれこそ正に漫画の世界。あり得ないのである。
もちろん力など関係ないスポーツや仕事もある。技術のみを突き詰めた世界だ。だが世の中のほとんどのスポーツと言われるものはこの2つを無視して頂点を取るなど不可能なのだ。力の競技イメージのあるウエイトリフティング競技。果たして圧倒的な力だけで勝てるものだろうか?技術や技をイメージする体操競技。圧倒的な技術だけでチャンピオンになれるものなのか?答えはNO、それはあくまで競技イメージに過ぎないのだ。ウエイトリフティングならあの圧倒的パワーをバーに伝え、支える技術が必要だし、体操ならあの凄い技術や技を支えている土台はパワーなのである。
この2つを高レベルで融合させられるのがトップ選手なのだ。まぎれもない現実だろう。
馬術で考えてみよう。よくフィジカルトレーニングをすると馬乗りは上手になりますか?とゆう質問をされる。答えは絶対にYES!です。
ただ馬術とゆうスポーツの特性上、身体1つでやるスポーツに比べてそれはわかりにくく、感じにくい部分はあるだろう。馬術は馬とゆう生き物と一緒に行うスポーツ。ここが他のスポーツにない楽しさであり難しさなのだ。機械なら一定の動作や技術で一定の動きをしてくれる。しかし馬はこうはいかない。何故なら生き物だからだ。昨日はこの動作でやってくれたのに今日はやってくれないなんて馬術ではよくあること。
逆を言えば指示してないのにやってくれた、なんてこともある。これが馬術とゆうスポーツの特殊性で完璧と思われる指示をしても失敗したり、自分が失敗しても馬が助けてくれるので人間が失敗を失敗と認識せずに次のステップに進んでしまったり、原因を追求せずに馬にありがとう、と感謝だけして終わってしまう。。
これは一般的スポーツの観点からみるとかなり異質であり、健全的ではないと感じるのは僕だけなのだろうか?
本来スポーツは失敗すればそれを克服して次に進む。単純な話でそうしなければ次のレベルに進めないし、それができない人はそのレベルで終わりなのだ。ただ馬術は馬が人の技術の未熟さ、失敗を時に隠してしまい、勘違いさせてしまうことがある。言ってしまえばこれが馬術の楽しさでもあるし、スポーツとしての難しさでもあるのであろう。
失敗を失敗と感じにくいスポーツ、これが馬術なのだ。
話が少しそれてしまったが、フィジカルトレーニングをすることによる馬術の優位性、これは決して偶像的な不確かなものではない。感じにくいものではあるが意識できる確かなものである。例えば試合経験のある人ならわかりやすいと思うが、走行の序盤は頭もクリアで踏み切りも見える、馬もしっかりコントロールできている、しかし中盤に入り体力がだんだん削られていくと力が入らなくなりコントロールが出来なくなってくる、終盤になるともはやコントロールは皆無、酸欠状態になり冷静な判断は愚か踏み切りすら見えなくなってくる。こんな経験がある人は多いのではないだろうか。正直僕自身たくさん経験あるし、今もこんな感じの人はたくさん見かけるのが現状だ。これは単純に5の力で乗れる馬を乗り手の単純エネルギーやパワーがMAX5だったら、その馬を乗るために常にMAXパワーでいなければならない。フルパワーとゆうのは長く続かないし、力は使えば当たり前に減ってくる。しかし乗り手に10のパワーがあれば5の馬は余裕をもって乗れるとゆうことになる。もちろんこれは単純に数値化して表現しているだけで現実はこの他に様々な要素が含まれてくるからそう上手くはいかないが、表現するならこんな感じだよね。技術とゆうのは練習はモチロン、様々な経験や感覚を時間をかけて習得するものだとしたら、すぐ身につく技術やすぐ身につけられる人がいる。逆に時間をかけないと身につかないものや時間をかけても身につかない人もいる。だが身体的な力は時間をかければ誰でも絶対身につくものなのだ。これは科学的、物理的に証明されていること。疑いようのない事実。ただ技術と違うところは、1度覚えた技術は忘れない、忘れにくいとゆうことに対して身体的な力は継続しなければ確実になくなるとゆう事実。例えるなら子供の頃覚えた自転車は乗らない期間が長くても、またすぐに乗れるようになるのに力とゆうのは継続しなければゼロに戻ってしまうのだ。継続は力なり。これは続けることの重要性を説いた格言だが、トレーニングを続ける者からの視点でいっても正にピッタリの言葉。大きな意味でも単純物理的な意味でもね。
よく馬は力じゃないとゆう言葉を聞くがそんなことは当たり前の話で、どれだけ人間が力をつけようが馬には敵わない。力勝負はハナっから無理なのだ。じゃあなんでフィジカルトレーニングをするかとゆうと、技術の中にパワーを組み込み事によって馬術競技者としての優位性や馬に出来ることの可能性が圧倒的に広がるからだ。力で馬を御す為に力をつけるわけじゃない、力の絶対値を上げる事によって最小の力で馬を御す為なのだ。難しい言い方をしているが技術ではカバーできない力とゆう部分で馬を操らなければいけない時に、力に余裕がなければ体力が削られる、体力が削られると脳に十分な酸素が届かなくなる、酸欠になる、冷静な判断、踏み切りがみえなくなる、乗りが荒くなる、馬の邪魔をする、などなどたくさんの障害がでてくるが、これらのことはフィジカルトレーニングを積むことによってある程度改善できてしまうのだ。その他にも僕自身はこの間の全日本の大障害標準競技を優勝した時のダブルのBを落とさず抜けたのは、単純なパワーで馬を引き上げたからだと確信している。もちろん毎回とゆうわけにはいかず次の日は同じような場面があったが落としてしまっている。ようは全てじゃないがパワーで抜けれることもあるんだよってこと。3回に1回でもパワーがあることによって成功するなら、その1回の為に日々人間もトレーニングするべきじゃないかって。
技術の中に力がある。力の土台に技術がある。捉え方は人それぞれだが、目指すは技力一体。時代はどんどん進んでいる。馬術界もこの十数年で劇的に変わった。馬の扱い、医療、トレーニング法、乗り方など。だけど僕はこの数年内で更に浸透するものがあると確信している。それが人間のフィジカルトレーニング法である。
どのスポーツもそうだが勝負がどんどんシビアになっていっている。0コンマ数秒を争い、一瞬の判断の遅れが勝負を制するスポーツ界。これは馬術界にも確実に来ているのだ。この先は馬の能力は当たり前、勝つには人間の技術は勿論、フィジカル的要素まで勝負に関わってくるのは必然の流れなのだ。
人は目に見える必ず結果が出るとゆう確実な場所まで歩くとゆう努力は惜しまない。
しかし人生もスポーツもそうはいかない。いつだって先の見えない不確かな場所が栄光の場所だと信じて進むしかない。これからも僕は僕に出来る最大限の努力をしていくつもりだ。
たくさんサプリが届いたぞー
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